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DCEUシリーズの第一作として公開されたスーパーマン映画『マン・オブ・スティール』の評価をめぐる論争は依然として行われているが、その中でもいわゆる“ゾッド将軍の首折り”の結末について、同役のマイケル・シャノンが批判に対するコメントを寄せた。
俳優はVanity Fairの映像企画で自身の出演作を見返しながら当時を振り返り、作品への誇りと、あの決断が意図された演出だったことを明確にしている。
シャノンは、スーパーマンが殺人を避ける存在であるという前提がある一方、終盤で市民を救うためにゾッドを止めざるを得ない状況が意図的に設計されていたと説明した。監督のザック・スナイダーが“ヒーローの倫理”を試すためにした演出であり、その選択と余波が作品の核だととも言及している。
一方でファンの間ではゾッド将軍の首を折る以外の選択肢が状況的にあり得たとも議論されており、必ずしもスーパーマンが人を殺める必要はなかったのではないかとも言われている。
このシーンではスーパーマンに拘束されたゾッドが熱線を放射し、目の前で壁や瓦礫に阻まれた人間の家族を殺そうとし、スーパーマンの倫理観を試すものとなっている。結果的には先述の通りだが、単純にゾッドを投げるや放射の方向をずらすだけでも良かったのではないかともされている。
もちろんゾッドもクリプトン人であり、隙を与えれば最悪の状況にもなりかねないだろう。こういった複雑な状況のなかで瞬時の判断を迫れたスーパーマンが選んだ選択は”正しかった”としか言いようがないかもしれない。
ゾッド将軍はその後タイムラインが改変された『ザ・フラッシュ』の中で再登場している。

単純な人間同士の戦いではないですからね

「Ginema-nuts」「トイハコ」の管理人です。アメコミ、特撮が主食の大きなお友達の一人です。
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