『ファンタスティック4:ファースト・ステップ』でMCUは帰ってきたのか? ー 1週間経ってレビュー

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※この記事には『ファンタスティック4:ファースト・ステップ』のネタバレが含まれています。ご注意ください。

MCUシリーズの最新作として満を持して公開された映画『ファンタスティック4:ファースト・ステップ』

これまで20世紀フォックスが制作してきた『ファンタスティック・フォー』シリーズが、ついにマーベル・スタジオのMCUシリーズに参戦したということで、長年待ち望んでいたファンの間でも話題となり、2025年最注目のアメコミ映画となった。

果たしてこの映画は、ファンが望んでいた「かつてのMCU映画」となったのだろうか。そして、現状のMCUが抱える問題点を解決する作品になっていたのだろうか。

今回はその点を含め、個人的に感じた良い点・悪い点を振り返っていこうと思う。

『ファンタスティック4:ファースト・ステップ』の良い点

まずは個人的に印象的だった、本作の優れているポイントについて触れていきたい。

大きく差別化されたビジュアル

『ファンタスティック4:ファースト・ステップ』がまず評価すべき点は、20世紀フォックス時代の作品と大きく差別化されている点である。

1960年代を舞台に設定し、SF要素を強調するためにレトロフューチャー的な雰囲気を取り入れたことで、過去の時代設定にもかかわらず奇抜なテクノロジーが違和感なく存在できる世界観が構築されている。

さらに、ファンタスティック・フォーのビジュアルも過去作を意識しつつ、コミックにより近い姿へと刷新されており、ここも特筆すべきポイントだ。

ただし、キャストについては賛否が分かれるかもしれない。リード・リチャーズを演じたペドロ・パスカルは、良くも悪くも「ペドロ・パスカルそのもの」であり、コミックのリード像とはやや距離がある。

リードのイメージにより近いのは、2005年版『ファンタスティック・フォー』でリードを演じたヨアン・グリフィズや『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』で変異体のリードを演じたジョン・クラシンスキーだろう。特に後者はファン待望のキャスティングでもあった。

それでもリード・リチャーズのヒーローとしての側面や、夫としての側面、そして父親としての側面などを繊細に描くことができるのはペドロ・パスカルという俳優しかいなかったとも言える。この点はマット・シャックマン監督もキャスティングの際に考慮したと公言している。

スーツデザインに関しても、昨今のアメコミ映画にありがちな「リアリティ志向」ではなく、あえてレトロ志向に寄せたシンプルなデザインが採用されており、本作のトーンと見事に調和していた。

細部に至るまで世界観が統一されており、映像面での完成度は非常に高く、視覚的にも楽しめる作品であった。

幅広い物語の舞台

本作のメインヴィランは、惑星を喰らう存在・ギャラクタスである。

その使者であるシルバーサーファーが地球とファンタスティック・フォーに対してギャラクタスの襲来を告げ、物語は大きく動き出す。

意外だったのは、ファンタスティック・フォーがギャラクタスの到来を待つのではなく、自ら彼の元へ向かった展開だ。

エクセルシオール号に搭乗し、ワープ技術を駆使してギャラクタスの宇宙船へと到達した彼らは、直接ギャラクタスと交渉を試みる。

交渉は決裂し、地球へ戻る途中でスー・ストームの出産と、シルバーサーファーからの追撃という二重の危機に直面する展開は、本作ならではの緊張感を生んでいた。

ブラックホールすら振り切って地球に帰還するという大胆な描写は、これまでのMCU作品でもあまり見られなかった演出であり、新鮮だった。

地球に戻った後のギャラクタスとの戦いも含め、宇宙と地球という二つのスケールを持った舞台設定は、物語に奥行きを与えており、視覚的にもドラマ的にも非常に見応えのあるものだった。

『ファンタスティック4:ファースト・ステップ』の悪い点

次は『ファンタスティック・フォー:ファースト・ステップ』において、個人的にやや物足りなく感じた点を振り返っていきたい。

やはりオリジンは描いたほうがいい

本作では、過去に2度(未公開を含めると3度)も実写映画化されてきた背景から、ファンタスティック・フォーの4人が能力を得る「オリジン」は簡単に触れる程度にとどめられている。

上映時間の都合やテンポを重視した判断であることは理解できるが、個人的には、もう少しだけ丁寧に描く余地があったのではないかとも感じた。

彼ら4人がどのように出会い、仲間としての信頼関係を築いていったのか。その過程こそがヒーローチームの土台であり、観客がキャラクターに感情移入する重要な要素である。ただし、それを詳細に描いてしまうと、過去作との差別化が難しくなり、物語が冗長になるリスクもあったのだろう。

一方で、スパイダーマンバットマンスーパーマンなど、同じくオリジンを省略した作品では、アメコミ映画初心者でも入りやすい導入が工夫されていた。

しかし本作は「ヒーローチーム」を描く第1作であるにもかかわらず、それぞれのキャラクターが十分に確立される前に物語が進行していく印象が強かった。そのためいわゆる”チームとしての絆”は、雰囲気で掴み取ることしかできなかった。

スパイダーマンやバットマンなどの単独ヒーロー映画は、初心者でもしっかりと「1作目」としての入り口を感じられる構成だったが、本作は、どこか“いきなり続編を観させられている”ような感覚を覚える。

ファンタスティック・フォーを知るファンであれば問題なく楽しめるだろうが、そうでない層、特に洋画が苦戦している日本市場においては、ややハードルが高い作りに感じられた。

ファンタスティック・フォーならではのアクションが少ない

もうひとつ気になったのは、ファンタスティック・フォーならではの、個性的なアクション描写が全体的に控えめだった点である。

炎をまとい空を飛ぶヒューマン・トーチや、パワータイプでインパクトのあるビジュアルのザ・シングについては比較的わかりやすく演出されていたが、インビジブル・ウーマンとミスター・ファンタスティックの描写には、やや物足りなさを感じた。

インビジブル・ウーマンは文字通り透明化の能力を持つが、劇中では主に光を操る能力として描かれ、バリアや光による衝撃波が中心となっていた。透明化を活かしたバトルシーンはほとんど記憶に残っておらず、やや個性が埋もれていた印象である。

ミスター・ファンタスティックに至っては、ゴムのように身体を自在に伸ばせるという能力の見せ場が限られていた。たとえば遠くの物を取る場面や、ギャラクタスとの戦闘でビルや構造物を登るシーンなど、演出自体が地味にとどまっていた。

また、ギャラクタスに捕らえられ、強制的に体を引き伸ばされるシーンもあったが、彼の能力を魅せるというよりは痛々しさが前面に出ていた印象だ。

本来であれば、体を膨らませたり、巻きつけたり、敵を拘束したりと、独自のアクションで映像的に見せ場を作れるキャラクターのはずである。その点において、本作のミスター・ファンタスティックのアクションはやや淡白で、魅力が十分に活かされていたとは言いがたい。

ただし、彼のもう一つの特徴である「天才的な頭脳」にはしっかりと焦点が当てられていた。劇中では、ギャラクタスにどう立ち向かうかを懸命に模索し、チームの力を借りながら最終的に彼を遠方へと転送することに成功している。

マーベル・スタジオ側としては、今回は身体能力よりも知性の側面に重点を置いたのかもしれない。その意図は理解できるが、やはり「ミスター・ファンタスティック」というヒーローの象徴的なビジュアルアクションをもう少し見たかったというのが、正直な感想である(MCUではスパゲッティと揶揄される演出しかなかったのでなおさらだ)。

『ファンタスティック4:ファースト・ステップ』それでもやっぱり評価は高い

今回で3度目(未公開作品を含めれば4度目)の実写化となる『ファンタスティック4:ファースト・ステップ』は、本国アメリカで非常に高い評価を受けている。

映画批評サイト「ロッテントマト」では、批評家からの支持率が86%の“フレッシュ”評価、さらにオーディエンススコアも92%と、いずれも高水準を記録している。特に近年のMCU作品の中では、十分に“成功作”と呼べる部類に入るだろう。

さらに注目すべきは、これまでの『ファンタスティック・フォー』映画がすべて“腐ったトマト”評価だったのに対し、本作がシリーズ初の“フレッシュ”評価を獲得したという点である。

仮にMCUというブランドの力で評価が底上げされていたとしても、本作がストーリー面・映像面の両方で観客を楽しませる力を持っていることは間違いない。
上記で述べた悪い点は、どちらかといえばこれまで数多くのアメコミ映画を見てきたファン目線によるものであり、一般層にとっては大きな障壁ではないだろう。

そう考えれば本作は、これまで『ファンタスティック・フォー』が背負ってきた“低評価の呪い”から、ようやく解き放たれた一本だと言える。

『ファンタスティック4:ファースト・ステップ』MCUは帰ってきたが起爆剤にはまだ足りない

『ファンタスティック4:ファースト・ステップ』は、様々な重圧を背負って公開された映画だった。

近年のMCU作品が苦戦しているのはもはや周知の事実であり、特にファンタスティック・フォーは、マーベルヒーローの中でも長らくMCUへの参戦が望まれていた本命チームのひとつだった。

だからこそ、MCU再起の「起爆剤」となることを期待されたわけだが、個人的にはそこまでのインパクトはなかったと感じている。

確かに、かつてのMCU作品にあった「楽しさ」や「高揚感」は戻ってきていた。ただし、それを味わうにはあまりにも遅すぎた

現在の映画市場では、「スーパーヒーロー疲れ」と言われるほどトレンドが変化しており、膨大な作品群と複雑なつながりに対して、観客の間でも疲弊感が広がっている。MCUに漂っていたいわゆる「目覚めた」という空気も、近年ではその意義を問われるようになってきた。

加えて、ライバルであるDCスタジオが放った『スーパーマン』がヒットしたことで、ファンの期待値も一層高まっていた中での公開という状態だった。

本作には「昔のMCUらしさ」が確かにあったが、それだけで『スーパーマン』を超える作品になるには至らなかった。
起爆剤として機能させるには、やはりもう一段の革新性が必要だったように思える。

また、「マルチバース・サーガ」の中でさえ、『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』や『デッドプール&ウルヴァリン』、『サンダーボルツ*』といった作品は大ヒットや高評価を記録している。
その中に並べるかと問われれば、『ファンタスティック4:ファースト・ステップ』はもう一歩及ばず、「惜しい一本」という位置づけになるかもしれない。

『アベンジャーズ/ドゥームズデイ』の前座にならないために

『ファンタスティック4:ファースト・ステップ』は、『アベンジャーズ/ドゥームズデイ』へとつながる前日譚としての役割も持っており、実際ポストクレジットシーンでは、ロバート・ダウニーJr.演じるドクター・ドゥームが登場している。

そして最後は「ファンタスティック・フォーは『アベンジャーズ/ドゥームズデイ』で戻ってくる」という、おなじみのMCU的伏線で締めくくられる。

タイトルのとおり「ファースト・ステップ」であるならば、「セカンド・ステップ」への期待が高まるのは当然だ。
だが、もしこの作品が単発で終わるようなことがあれば、それは“アベンジャーズ映画の前座”として消費されてしまうだけになってしまう。

特に次回の『アベンジャーズ』でドクター・ドゥームがラスボスとして登場することを考えると、彼との対決をファンタスティック・フォー単独作で観られないのは、実にもったいない。

ウワサでは、マルチバース・サーガ以降もドゥームは退場せずに存続するとも言われているが、MCU版ファンタスティック・フォーが次なるステップへと進めるかは、『アベンジャーズ/ドゥームズデイ』、そして『アベンジャーズ/シークレット・ウォーズ』の展開にかかっているのかもしれない。

『ファンタスティック・フォー:ファースト・ステップ』は、2025年7月25日より全国劇場にて公開中だ。

ゆとぴ

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「Ginema-nuts」「トイハコ」の管理人です。アメコミ、特撮が主食の大きなお友達の一人です。

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